セラピストの存在感
WATSUでは、「DoingからBeingへ」と言います。
「やる」ことより「いる」こと。
以前WATSU創始者のハロルド・ダールに聞いてみたことがあります。
WATSUという言葉は、WaterとShiatsuを一言に略したことに由来します。
「でもWATSUって指圧じゃないよね?」と聞いてみると、
ハロルドは、「指圧を水の中に持ち込んだわけじゃない」
「DoingよりもBeingという増永先生の考え方を水の中に持ち込んだんだ」
と答えました。
なるへそ。
でも、Beingって…
どうやって伝えればいい?
セラピストを育てるインストラクターとしては、
もう少し具体的にしてほしい…
わかる人はわかる、わからない人はわからない、
ではインストラクターは務まらないっすよ~
Being 日本語であえていえば「存在感」
要は「やらない」こと。
でもWATSU、何にもしないわけじゃない。
WATSUの講習でも、「何をするか」を指示してあげたい。
「何かをするな」という指示では存在感を学ぶことはできないもんね。
去年、お師匠さんのテリー・トーマスに聞いてみました。
「Beingって一言いうと何?」
「awarenessよ」 さらりとテリー。
アウェアネス… !
あは~!!!! そかそか、それだ!
アウェアネスとは直訳すれば「認知」。
「気づき」の及ぶ範囲を指します。
自分のアウェアネスが自分にとっての現実を作ります。
気づかないことは現実にはならないもんね。
自分の世界は、自分のアウェアネスによって作られます。
アウェアネスは間違いなくセラピストにとって一番大切な資質。
クライアントの状態、反応に対するアウェアネス
自分の状態、姿勢、動作、タッチに対するアウェアネス
周囲の環境や粧材(WATSUなら「水」)に対するアウェアネス
心理的に、生理的に、解剖学的に、エネルギー的に。
アウェアネスこそがセラピストの命。
でもそれとBeingが結びついてなかった。
「何をするか」ではなくて「何に気づくか」
それだ。
それがWATSUの質を決める
それがBeing
後は、何に気づくか、気づいたことにどう対処すればいいか、
それを具体的にちゃんと伝えられるように講習を組み立てれば。
ふんふん、わかってきた。
初めまして今晩は、以前から(かなり前です)Watsu には興味関心があり調べてはいたのですが、その頃はあまり情報がなく静岡のサザンクロスにあることは知っていたのですが、行く時間と費用が無く断念してしまい諦めてしまっつたのですが、やはりどうしても諦めきれず調べているうちにこのブログに辿り着きました。セラピストになるには、どうしたらよいのかアドバイスいただけたら幸です。どうぞ宜しく御願い致します。
WATSUへのご関心ありがとうございます。
まだWATSUを受けてらっしゃらないのに
ずっと気になっていたんですね。
何かピンと来るものがあったんでしょうね。
WATSUは誰にでもできるボディワークですし、
WATSUを受ける人にとってだけでなく、
自分の心身の成長のためにとっても
学びや気づきの多いワークです。
詳しくはメールでご案内させていただきますが、
ぜひ検討してみてください。