小笠原徹 WATSU ワッツおととい東京からWATSUを受けに沖縄に来てくださった方が
ご自身のブログで体験談を語ってくださいましたのでご紹介したいと思います。

「てあてや」さんのブログ

てあてやさんはエサレンというオイルマッサージをされる方です。
エサレンはWATSUと同じ頃に生まれたテクニックで、
場所もサンフランシスコ郊外と近く、
施術者の精神性を重要視する点でも、
WATSUととても似ているボディワークです。

さすがにWATSUの真髄を見抜いてくださったようで、
とても嬉しく思いました。

WATSUでは、Doing「やること」より、Being「存在すること」を重要視します。

って、言うのは簡単ですが、雲をつかむような話ですよね。
Doing より Being ってね。

基本的にWATSUはボディワークですから、
セラピストはいろいろと体を動かして、
クライアントの体を動かしていきます。
そこにはいろんな動き方、技があり、
さらにそのリズム、タイミング、スピード、強さ、接点の手の形や位置など、
バリエーションは無限にあります。

ただ、これはすべてDoingです。
確かにDoingなしにWATSUは成立しません。

ただ、それだけではいけないよ、というのがWATSUの教えです。
技だけでは、WATSUの目的である「心と体の解放」はないんです。
では、Being  「存在すること」 言いかえれば 「心」 かな。
コレはどうすればいいのか?
「心がなければだめ」って言われたって、どうしていいのかわからないですもんね。

ボク自身、この壁にあたって長年もんもんとしましたが、
その答えとして、いまWATSUの講習で一番にお伝えしているのが
Awareness 「気づき」 です。

「やること」より「気づくこと」

これならできると思うんです。
何に気づけばいいのか?
何でもいいんです。
正解はありません。
結局、ボクらは自分が気づくことで自分の世界を作ります。
この世界は見ている人によって全然違うものです。
だから人と同じでなくていい。
みんな違ってみんないい。
二つと同じWATSUはありえない。

ただ、「やる」というアウトプットと「気づく」というインプットが、
同時に行われていないと、セラピストの独りよがりのセッションになりかねません。
逆に気づこうと思うことだけで
タッチが変わります。
ムーブメントが変わります。
クライアントが受ける全体の印象はまったく違うものになります。

またそれは、偽りのない今の自分だと思うんです。

セラピーは、ワークでなくて、アートでいいんじゃないかと思います。

ワークは同じものを確実に作り続けるもの。
ワークは頑張って努力して働くもの。

アートは自由で創造的な営み。
アートは遊び心と感性をかきたてないと、
逆にいい仕事ができないもの。

てあてやさん、ありがとうございました。
また自分を見直す機会を持つことができました。
またぜひ沖縄にいらしたらお声をおかけください。